その9 帰宅困難区域を常磐線代行バスがゆく!

がども、こんばんは、鉄道少年です!

引き続き重い内容になりますがご了承ください。

 

前回

竜田駅周辺の人のいない町を歩き”日常”と離れた町だということを身をもって実感。

駅に戻り代行バスに乗車しました。

 

今回は写真の撮影場所を明確にするためGPSログを付けておきます。

(ピンをクリックすると画像が表示されます)

代行バスは定刻通りで竜田駅を発車。

運転士と添乗員の2名体制による運行で乗客は13名でした。

竜田駅を出発してしばらくしてから添乗員による車内放送が行われました。

こちらも録音してありますので、ブログのBGMがてらどうぞ。

聞いていただければわかると思いますが、

「この先、帰還困難区域を通るので窓の開閉は厳禁とさせていただきます」

とアナウンスされました。

毎日のことなので運転士の方も添乗員の方も平凡にしてらっしゃいます。 

自分は緊張していましたけども。

代行バスは国道6号線を走行し富岡町へ入ります。

 

 

 帰宅困難区域手前までは人影は少ないものの作業車等の通行は多くあるため

コンビニエンスストアの建設が行われるなど賑やかではあります。

ピントが合っていませんが、

「この先帰宅困難区域」の看板が見えてきました。

 

帰宅困難区域の内、国道6号線や常磐道等に限り通行証がなくても走行する事ができ、

一般人でも進入することができます。

但し、国道6号線沿いの側道や店舗敷地へ立ち入ることはできず、

この先の画像のようにフェンスで封鎖されています。

http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/kokudou6gou.pdf 【PDF注意】

 

進行方向左側の席に座っていたため写真に収めることはできませんでしたが、

右手には「この先 自動二輪車 原動付自転車 軽車両 歩行者 は通行できません」

と大型の看板が設置されていました。

 

帰宅困難区域に入ると風景が一変して厳重な警備がされていました。

 

先ほどの通り、国道6号線から伸びる道はことごとく封鎖されており、

一時帰宅等で通行証を持った人しか入ることができなくなっています。

 

ロードサイド店も多くあり車窓には駐車場に雑草の生える大型家電量販店。

店内の様子を伺うことはできませんでしたが、

震災直後のままなのかもしれません。

 

カーディーラー

 

畑でしょうか。人の手が加えられないとこの状況。

一般住宅ありましたが個人のものですから撮影はしていません。

黄色の看板「緊急時の避難路」使わないことを願います。

フェンスで閉鎖された大手牛丼チェーン店。

 

 

自分が趣味にしている郵便局も被害を受けた一部です。

多くの郵便局が区域に入り、閉鎖されています。【PDF注意】

http://www.post.japanpost.jp/notification/productinformation/2015/0302_02_01.pdf

 

帰宅困難区域の南端から約15km 30分で北端へ、

奥の看板に「ここまで帰宅困難区域」

手前の看板の「スクリーニング場」というのは、

スクリーニング検査を行う場所で全身の放射線量を測定し

線量が多い場合は洗い流す必要があるようです。

国道6号線を通過するのみであれば測定の必要はなく、

一時帰宅等で自動車から降りた場合に測定する必要があるようです。

また、防護服の着替えもここで行うようです。

 

「高瀬スクリーニング場」

立派な建物ですが震災前は結婚式場”浪江フローラ”として使われていたものです。

この以外にも葬儀場を事務所として使っている場所も見かけました。

供食設備が整っていて広さも確保できますから勝手がいいのでしょう。

 

帰宅困難区域を通過しても賑わいがすぐに戻るわけではなく、

暫くは殺風景が続きます。

その先では汚染土壌が大量に積まれていました。

このような風景はこのあたりで何度も見かけることに。

上の2枚の写真、何でもないただの写真に見えますが、このときの自分には

「ホッと」した写真です。区域からしばらく走行すると町に賑わいが少しずつ戻り、

このように営業している”日常”な店舗が多く見かけることができました。

 

”日常”とはいつものことですが、それを心から望む人々がいて、

当たり前に見えてそうではない。凄いことなんだと初めて実感しました。

 

震災の影響で不通になっている常磐線のうち最後まで復旧時期の目途が立たなかった

この竜田~原ノ町駅間も警戒区域以外が2017年迄に、

警戒区域内も2019年度末迄運転再開が決まりました。

 

ただ、代行バスで沿線を見た今の状況では

「本当にあと4年で再開を受け入れられる状態に戻れるのか」と疑問が残ります。

 

 

ちなみに、車内の13名の乗客は地元民らしき方も見られましたが

自分を含めほとんどが鉄道ファンといった感じで

18きっぷや北東パス片手に乗車していました。

 

自分はパシャパチャ写真を撮っていましたが、

数人を除いて殆どの乗客はスマホを見ていましたね。

 

 

被災された方々からすればその様子を見物して

欲しくはないと思う方もいるかもしれません。

ただ、自分は「日本全国にこんな場所がある」そこを発信したいと思っています。

ですので今回このように現地の写真を多くあげさせていただきました。

この先の旅行記でもこの方針で書いていきますのでご理解ください。

突然の長文失礼しました。

 

 

 

 

1時間ちょっとで代行バス原ノ町駅に到着。

 

あっ、あれは原ノ町駅に放置された「特急スーパーひたち」の車両。

 

原ノ町駅 10:45着 

竜田で撮り忘れていましたのでここで。

塗装を見ればわかりますが元はJR東北バスの車両で代行バス運行に当たって

地元の浜通り交通に譲渡されたようです。

 

 

というわけで震災関連の内、原発事故に関する部分を3回に分けてお届けしました。

自分が住んでいる日本にはこんな場所もあるのだと再認識できました。

 

なんか終わりそうですが、旅行記はまだまだ続きます!

次回からは内容が少しは軽くなると思いますのでお楽しみに!!

 

 

 

 

 

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 次回「常磐線で相馬から仙台へ向かう!」お楽しみに!

 

 

※次回予告はテキトーにつけてるので実際のタイトルと異なる場合があります。

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